スペイン・アンダルシア地方旅行記のページです
スペイン南部旅行記〜アンダルシア地方への旅〜
 2005年9月5日から10日まで、スペイン南部のアンダルシア地方を観光しました。地中海に面したこの地方には、コルドバ・セビリア・グラナダという世界的にも由緒ある観光地が集中しており、旅行期間中も特にヨーロッパ各国からの多くの観光客で賑わっていました。
 歴史的にはコルドバが勢力を持っていたようで、セビリアとグラナダはコルドバの支配下に置かれていました。また地中海を挟んでアフリカに近いせいか、かつての建造物もイスラム教の影響を受けていたものがありました。15世紀位にはスペイン北部からキリスト教勢力が進出して来て、アンダルシア地方もその勢力下に置かれます。
 この地方の気候はマドリッドとほぼ同じで、非常に乾燥しており夏の暑さは厳しいです。スペインの明るいイメージは、このアンダルシア地方から来ているのではないでしょうか。なお私がマドリッドに来る少し前の時期には、気温50度を越えて多くの人が亡くなったという事です。
 今回の旅行では、昨年のキューバ旅行での失敗を教訓にメモリーカードを使ってのデジカメ撮影をしましたので、写真数は80枚に達しました。その中から厳選(?)したものを公開したいと思います。

***コルドバ巡り***

 9月5日の午前11時に、超特急(新幹線に似ている)で1時間半かけて最初の観光地コルドバに向かいました。かつてコルドバは地中海に面したアンダルシア地方一体を支配しており、アフリカ北部と向かい合っている事もありイスラム教の影響が強かったそうです。その名残として一番有名なのがメスキータ・カテドラルと呼ばれる教会です。8世紀に建てられ、その後何度か増築や改築があったそうです。メスキータとはモスクの事で、イスラム教での教会に当たります。純粋にカトリックの教会なら「イグレシア」と呼ばれますが、やはり建造物がイスラム文化の影響を受けています。内部は一般的なカトリック教会とほぼ同じで、各聖人を祭った祭壇や教義堂が色あせてはいるものの荘厳に配置されていました。政教分離が一般的な現代社会とは異なり、当時の教会は政治力そのものを示す指標です。不必要とも思われる高い天井にも、細かい装飾が施されていました。中庭の様子も、何かアラビアを彷佛とさせる様な雰囲気で、35度はあったと思われる暑いコルドバの気候とマッチしていたように思います。

 コルドバの街はこじんまりとしており、初日のメスキータと2日目に見たアルカサルが2大観光スポットになっています。アルカサルとは展望台を兼ねた軍の監視施設の様な場所で、建物は大分風化していましたが雰囲気は味わう事が出来ました。その後少し街中を散策し、考古学博物館にも足を運びました。石器時代からの土器・武器に始まり、ローマ時代の石像や彫刻文字盤等、コルドバの時代の流れを少し理解出来た様な気がしました。このようにゆっくりとコルドバの街を歩きながら過ごし、2日目の夕方には次の観光地のセビリアに向かいました。


左からメスキータ、メスキータ内部の装飾品、アルカサル


***セビリア巡り***

 コルドバから電車で1時間程でセビリア入り。ちなみにスペイン語では「セビージャ」と発音します。セビリアはコルドバよりは大きな街で、道は非常にごちゃごちゃと入り組んでいるものの、坂が無いので歩きやすいという印象です。到着した翌日から観光を始めましたが、セビリア観光のメインは中心部にあるカテドラルでしょう。いわゆる教会ですが、コルドバのメスキータより大規模で世界的にも有名なようです。かなり多くの見物人でごった返していた様な感じで、日本人ツアー団体もいました。12世紀に建造が開始されたもので、ゴシックスタイルと呼ばれています。さすがに装飾は色落ちていますが、ルネサンス期のカトリック黄金時代の華やかさが改めて思い起こされますね。
 このカテドラルの向い側にはレアル・アルカサルと呼ばれる貴族のサロンがあります。各部屋を見学し、14世紀当時の豪華な生活様式を見る事が出来ました。残念ながら中の写真撮影は出来ませんでした。

 翌日は街中を歩きながら、色々な観光スポットに足を踏み入れました。その中で現在庁舎として使われているプラサ・エスパーニャという建物は見事でしたね。20世紀初頭にエキシビジョンとして建てられたもので、U字型に広場を囲っている様子は優雅な感じがします。このセビリアでも考古学博物館に入りましたが、基本的にはコルドバで見たものと同じでした。
 ところでこのセビリアなんですが、街の至る所が工事中。夏休みシーズンが終わったからかな、と思っていたのですが、一年中こんな感じという事。歩いていて少しイライラするくらいの頻度で工事が行われていました。


左から、カテドラルの入り口での撮影。後ろの馬車は観光用です。中の教義堂の装飾は今だ光輝いています。
右はカテドラルに向かい合うレアル・アルカサル。


左は、カテドラル屋上から見たセビリア市街の様子。右はプラサ・エスパーニャの正面部。


***グラナダ巡り***

 コルドバからグラナダまでは電車で3時間程。いよいよアンハンブラ宮殿のあるグラナダにやって来ました。アンハンブラ宮殿には毎日多くの人が訪れるということで、入場券の予約が必要でした。私は旅行最終日に予約したため、グラナダ1日目は他の場所を見学する事に。このグラナダにもメインとなるカテドラルがあります。16世紀に建てられ中には当時の王一家の棺が安置されていました。
 グラナダは坂の多い地区で、小高い丘に登ると市街地は勿論、下の写真のように向かい合う丘の上に建つアンハンブラ宮殿の外観も見る事が出来ます。
 そして旅行最終日に、アンハンブラ宮殿へ。バスを利用して丘の上に向かいました。世界的に有名なクラシックギター曲「アンハンブラ宮殿の思い出」は日本でもなじみ深いですが、BGMとしては流れていませんでした(私自身は少し期待していた)。予想通りと言うか多くの観光客(殆どがヨーロッパ諸国)が並んでいていましたが、実は当日券でも入れる人が多かったと分かりました。
 中に入ってみると、宮殿と言うだけあって歩き疲れる程の広さです。ただ私がイメージしていたのとは異なり、各建物ともかなり老朽化が進んでいて色あせていた事。考えてみればルネサンス期の建造なので当然でしょうか。外部のみならず、写真のように内部塗装もかなり落ちています。それでも当時の贅沢三昧の王一家の生活は十分かいま見る事が出来ました。これはフランスの話ですが、あのマリー・アントワネットが「パンが無ければお菓子を食べれば良い」と庶民の生活を評したそうです。宮殿内では食べ物が無くなるなど絶対あり得ない事を示すエピソードで、このアンハンブラ宮殿でも同じ事が言えたのだと思います。某氏の「投げる球が無くなったら魂を投げろ」とは違う価値観ですね。各サロンには中庭があり、色とりどりの植木は近年のものと思われますが、当時も同じ様子だったと思われます。


左から、カテドラルの入り口。アンハンブラ宮殿全体をバックにして撮った一枚。宮殿内の一部。


左の写真からも、宮殿の老築化が分かります。真ん中は宮殿から見た町の様子で、右は浴場と思われる場所です。


3枚とも各宮殿内外の様子。左は内部の壁を撮ったもので、これも色あせているのがよく分かります。


中庭の華やかな様子。そして敷地内の別の場所から撮った宮殿全体の様子


 このようにゆっくりと宮殿内の様子を楽しみながら2時間程過ごし、夕方にはマドリッドへ帰って行きました。この6日間はアンダルシア地方独特の暑く乾燥した中での観光となりましたが、日陰に入ると快適で休憩しながら各スポットを回るという意味でもお勧めの場所です。皆さんも近いうちにこちらに来られる予定があれば、私が責任を持って(?)案内致します。